自分の性格について考えてしまう夜があった。
性格の多くは表裏一体で良くも悪くも捉えられるが、特に焦点を当てて考えた一面がある。
それは“熱くなれない”ことだ。
“熱くなる”とは
“熱くなる”と言っても様々な解釈ができるが、
以下のようなところだ。
- 一つのことに集中して打ち込むこと
“熱中”や“熱意”の意に近いかな。
学校活動、勉強、部活動、仕事。すべてにおいて打ち込むと言えるほど真剣に取り組んだものがあるとは到底胸を張って言えない。
※仕事は至極真面目にやってます
絶対なくてはならないものではないはずだが、あるに越したことはないものといった印象をきっと誰しもが抱いているはず。
熱を注げる何かを見つけられればその後の考え方や価値観に変化が現れるかもしれない。
- 感情を露わにして第三者にぶつけること
喜怒哀楽の中だと特に怒りに対して思うことだが、喧嘩して怒声を浴びせたり、感情的になってお店の中や街中で怒鳴っている人の姿を見ると途端に引いてしまう。
知らない人だったら無視すればいいだけだが、これが近しい人や知り合いだったら相当の距離を置きたくなるし行動を共にしたくないとまで思う。
自分が熱くなれないという話だが、この解釈に関しては他人のこうした言動に嫌悪感を抱くのもあり、私自身は決してしないように心掛けている。心掛けなくても性格上無意識でもしていないはず。
そのため、場合によっては自分が関係していることであっても、どこか他人事で見てしまう。
(言葉だけ見ると最低な人間に捉えられそうだが、間違ったことは言ってない。)
“喧嘩するほど仲がいい”とよく言われるが、そこまで踏み込んだ関係性を築いたことがないからか、この言葉にあまり納得できない自分が居ることにも気付いた。
熱くなったら…
では、熱を帯びた時はどうだろうか。
冷めやすい。
熱しにくく冷めやすい…、自分でも大丈夫か?と思ってしまった。
先日まで視聴していた連続ドラマの話。
最初の頃は次回まで1週間待たないといけないのか〜なんて首を長くしていたのに、徐々にその熱量は失われていき、終盤は惰性で観ていた。
最終回に至ってはながら見で画面から目を離していることも多かった。
連続ドラマは度々観ているが、近年を振り返ると上記のドラマに限らず最終回に向かうにつれ熱が下がっていることが大半であることに気付いた。
その証拠に、TVerで過去視聴したドラマを見返すことがあるが、途中で飽きて終盤まで観ないこともよくある。
熱しにくいからかほとんど実例が出てこないが、長続きしている趣味は音楽鑑賞くらいだし長期にわたる愛用品もあまり無い。
やはり熱しにくく冷めやすい性格なのだろう。
最後に
自分は不器用だから、と“熱くなれない”で片付けてしまうのは成長の妨げになっているのかもしれない。
時に熱くなるのも大事だろうし、そういった一面を備えておけば上手く世渡りできるかもしれない。
余談だが、前回のブログで書いた恋心は本テーマの例に漏れる。
彼には依然恋愛感情全開なので、心配無用で(?)。
「恋は盲目」というが、熱をもちすぎて彼自身や周囲に迷惑をかけてはいけない。
彼に対しては魔法瓶内の飲み物のような温かさでありたい。