はじき銀舎の地味日記

地味な生活を送る、冴えない男の日記

はじき銀舎の形成 其の六〜現在まで〜

どうも、はじき銀舎です。

 

「はじき銀舎の形成」シリーズ、最終回になります。

 

 

 

就職し、無事に社会人としての生活をスタートさせ、仕事は今日まで自分なりに頑張ってやっているつもりだ。

 

 

しかし、肝心のプライベートは……何もやっていない。

 

 

いや、今振り返るとそう思うが、その時々では僕なりに充実した時間を過ごしていたつもりだった。

 

 

 

半年くらい前だっただろうか。

突発的な考えで、僕は一歩踏み出すためにゲイバーに行く決心をした。

 

お店は悩みに悩んだが、公式サイトがありTwitterを随時更新している場所に決めた。

 

 

 

決心したはいいものの、移動の電車の中でさまざまな疑問が頭を駆け巡る。

 

僕なんかが入っていいのだろうか。

入ることができたとして、楽しめるのだろうか。

この先の人生の景色は変わるのだろうか。

 

 

電車を降り、お店のHPに掲載されている地図と、現在の位置を示すマップを交互に照らし合わせながら徐々に近づく。

 

 

方向音痴のせいもあって、30分くらい迷いに迷って、ようやくお店の前に辿り着いた。

 

雑居ビルの中にあるそのお店の外見は、一見すると見逃してしまいそうなほど薄暗く、木製の扉はしばらく開閉されていないんじゃないかと感じられるほど静かに佇んでいた。

 

"ここがゲイバーなのか…"と驚きながらも、心臓の鼓動が小刻みかつ大きく脈打つのを感じる。

 

 

"この扉を開ければ、新たな世界が見られるかもしれない。"

 

 

 

 

しかし、どうしてもドアを開けることができない。

ノブに手をかけることすらできなかった。

 

 

 

しばらくフロアを行ったり来たりしたが、誰かの話し声が近くに聞こえて、僕は逃げるように階段を駆け下り、ビルを後にした。

 

 

 

不甲斐ない…。目の前まで行ったのに…。

何もせずに帰路につく僕は、情けない自分を責めることしかできなかった。

 

 

 

 

結局、今日という今日までゲイバーはおろか、ゲイの方に直接会ったことも無い(実際は居たのかもしれないが)。

 

 

僕はこのブログを始めて、ゲイグループの色々な方の記事を拝見することで、2018年、年内にはゲイの方と出会い、知り合いをつくることを目標に設定した。

 

 

 

 

「はじき銀舎の形成」シリーズは今回で一旦終わりですが、今後こぼれ話を少し公開するかもしれません。

その時も読んでいただけたら幸いです。

 

 

ありがとうございました!

はじき銀舎の形成 其の五〜思いがけない告白〜

こんばんは、はじき銀舎です。


前回は高校で出逢ったK君の話でした。
hajiki-ginsha.hatenablog.com


続く今回は、僕が通った大学内の話。



僕にとっては、青天の霹靂と言える出来事が起きる。


大学1年の時に、同じ学部の女の子から"付き合ってほしい"と告白された。




その子とは、入学してすぐに交流があった。


強制的に参加させられる1泊2日のキャンプがあり、そこで同じグループに。


キャンプが終わってからも、10人くらいのグループで集まる機会が多く、交流は続いた。


僕は団体行動が苦手ながらも、当時何もわかっていなかった大学生活に必死に付いていこうと、グループの交流を普通に続けていたつもりだった。



そんな中の、何の前触れもない突然の告白。



告白されたのはもちろん初めてだったし、この頃にはほぼゲイだという自覚が徐々に確信に近くなっていたこともあり、頭が真っ白になった。




そして思った。
これは返答に困ったぞ…、と。



その場で僕は相手に"1週間考えさせてください。"と言い、別れた。


もちろんその場ですぐにお断りしても良かったし、そうするべきだったのかもしれないが、一番相手が傷つかない方法で断るようにしようと決めていた。


あれこれシミュレーションし、伝えるべきセリフを考えに考えた。




1週間後、その子と会った僕は、"友達としてしか見ることができない"という理由で断りの返事をした。


その後すぐにグループで集まることはなくなり、その子ともろくに会話することもなくなった。




自分の気持ちに嘘をついて付き合うのは、相手にも迷惑になる。


僕はその子に限らず、やはり女性のことを恋愛の対象として見ることができない…。



この経験から、僕は男性しか好きになれないことを確信した。




以来、大学の友達にはゲイを隠し続けた。疑われたことも少なくないが、何とか切り抜け大学卒業に至った。




[次回へ続く]

多情多感への憧れ

多情多感…感受性が強く、物事の情趣を深く感じること。

 

 

 

以前、TBS系列で「『全盲の僕が弁護士になった理由』〜実話に基づく感動サスペンス!〜」というドラマが放送された。

 

 

実在の全盲弁護士・大胡田誠氏の同名著書を原案にした、この2時間のスペシャルドラマが放送されたのは2014年12月。

3年以上前の作品だが、僕はこのドラマが大好きで、HDDに録画してるものをたまに観返す。

 

 

大胡田さん(ドラマでの役名は大河内)を演じる主演は松坂桃李さん。

全盲を演じるにあたり、物語に説得力をもたせるために、大胡田さんの自宅にお邪魔して所作を見て演技に活かしたらしい。

 

 

松坂さんはどんな役柄も演じることのできる素晴らしい役者さんだと思う。

 

先日、松坂さん主演で公開中の映画「不能犯」を観に行ったが、その作品で演じる殺人犯の不気味さには感嘆した。

 

世間的には"イケメン俳優"というカテゴリで一躍有名になったかもしれないが、僕は松坂さんのことを、"超がつく程の一流の役者さん"だと思っている。

 

そんな俳優界のスターと僕の年齢がほぼ変わらないと知った時はびっくりと同時に愕然とした。どうしてこうも違うのか、と。

 

 

ドラマの話に戻る。

 

サスペンスなので、メインで描かれる事件の真犯人は最後に明らかになる訳だが、2度目以降はもちろん犯人を知った状態で観ることになる。

 

それでも、僕はこのドラマを何度も観てしまう。

何故だろう?と思い、その理由を考えてみた。すると、1つの特徴に気付いた。

 

 

 

それは、作中に出てくる登場人物の感情表現が豊かだということ。ドラマだから、役者さんが喜怒哀楽を表現するのは当然なのだが、大袈裟ではなく自然で、移入させられるような表現が随所に感じられるのだ。

 

 

 

あくまで自己分析にすぎないが、僕は喜怒哀楽の表現力が乏しい気がする。

 

特に、ポジティブな感情である"喜"と"楽"は最近あまり公で露にしてないような。

 

何だろう、"人間らしさ"という表現で合ってるだろうか?それを周りに表現することが、未だにどこか恥ずかしい。

 

 

僕は昔から、街でよく目にする大学生のノリみたいな、周囲を気にせず通路を塞いで盛り上がる団体が嫌いだ。

 

でも、これは自分が味わってくることの無かった、"ないものねだり"による嫉妬が大部分を占めるせいなのかもしれない、と感じ始めた。

 

 

結局は他人が楽しくしている様を見て、憧憬の念を抱いていたのかもしれない。

 

 

 

冒頭の多情多感。

 

全盲の僕が〜」では、無実の罪を着せられる山西(演じているのは俳優の太賀さん)の無実が裁判の場で証明される。

その後号泣し、大河内に"ありがとうございます…。"と2回声を漏らすシーンがある。

 

 

僕は毎回そのシーンで涙腺が緩む。

 

感受性に乏しい僕でも、心を動かされる。

人目を憚らず感情を爆発させることが、時には美しいということを教えてもらった。

 

 

良好な人付き合いをしていくには、時には周りを頼ったり弱い部分を見せる"人間らしさ"を示していってもいいのかもしれない。社会を上手く渡り歩くためにも。

 

はじき銀舎の形成 其の四〜親友現る〜

こんにちは、はじき銀舎です。


シリーズ第四弾、今回は高校時代、そして少しだけ大学時代のエピソードを含む。

以下、続きです。







高校生になる。高校では、中学でやっていた運動部には所属しなかった。
(一応勉強は最低限してました、ということにさせてください)



初めての交際や初めての経験が高校生の時、という方が非常に多いと思うが、もちろん僕は例外だ。


それもあってか、記憶を最大限に引き出してみたが、高校生活3年間の特筆すべきエピソードがまるで見当たらない。


淡々と、学校に行き授業を受けるという日々の業務をこなしただけの日々。



高校時代の人付き合いに関しては、中学で培われた"孤独を愛する人間性"、良く言えば"一匹狼"を存分に発揮していた。

自分から話しかけることがない訳ではない。話しかけられない訳でもない。

ただ、必要事項以外は無駄に会話せず、同級生と距離を詰めすぎることなく、上辺だけで接することが多かった。




そんな、"何をやってたんだか…。"と自分でも哀しくなる高校時代だが、一つだけ僕のこれまでの人生のトピックで欠かせないことがある。





それは、K君との出会い。今でも連絡を取り合う、僕の唯一の親友だ。




K君とは高校3年間ずっと別のクラスだった。
1年の時は廊下で顔を合わせてたまに会話する程度。2・3年になっても、共通の話し相手が間に居れば、三角形の残り一辺を描くように少し話すくらいだった。





あれ?2年になって関係性が薄くなってない?と思った方、御名答です。



実は、当時僕はK君のことが苦手だった。嫌い寄りの苦手。


K君は結構毒舌というか口が悪いところがあって、言いたいことがあると相手の目の前で直接言うタイプ。


これだけの情報だと、かなり感じの悪い奴って捉えられるかもしれないが、ただの悪い奴ではない。というか、悪い部分なんて見当たらない。


というのも、間違ったことは何一つ言わないし、何より童顔で可愛らしいルックスの持ち主。


ルックス関係ないなあ…。でも、初対面でそんなタイプに見えないから、凄くギャップがあるのだ。
(この辺りの僕のK君に対する感情については、また別の記事で書こうと思う。)




話を戻す。



僕は1年の序盤、まだ何度かしか話したことがない時に、K君の言動に腹が立った。僕の何を知ってるんだ、と思わせるような言動だったと思う(何故かこの言動は思い出せない)。


その言動を推測するに、K君も僕のことをあまり快く思ってなかったかもしれない。



そんな壁を隔てたままの関係で高校を卒業し、僕とK君はそれぞれの道を歩み始める。




仲良くなったのは、大学に入ってからのこと。僕が進学した大学とは地域も全く違う大学に通っていたが、連絡先は知っていたから、どちらからとなく連絡を取り始めた。
(連絡先は卒業のタイミングで交換した気がするが、曖昧である)


連絡をとると、お互いの学校の悩みを一時的に忘れるように、他愛もない話を繰り広げる。


TVと音楽が好きという嗜好から、物事に対する考え方など、何かと価値観が似ていることが発覚し、2時間超えの長電話も少なくなかった。


何故、連絡先を交換したのか?何をきっかけに仲良くなったのか?
僕が思い出せないこの二つの疑問をK君にぶつけたことがある。


だが、K君も「憶えてない。」の一言。
この疑問は一生迷宮入りなのだ。



連絡は頻繁にとっていた僕らだが、地域が違うことや、休日はお互いアルバイトに時間を要していたこともあって、直接会うことはほとんどなかった。


大学時代に会ったのは一度だけ。2年の夏に、僕の地域で会って遊んだ。K君が遠くからわざわざ来てくれて、慣れないランチや観光したっけな。


今振り返っても、あの時は心から楽しかった。大学の同級生とは味わえない感覚。
心から楽しいと思えるのは、きっとありのままの僕を見せることができるからだろう。




実は、これまで何度もK君にゲイであることをカミングアウトしようかと考えたことがある。


でも、口にできない。縁を切られることを怖れて言えない。
もしK君との縁が無くなれば、友達がいなくなる。


K君の性格を考えれば、ゲイであることを受け入れてくれそうな気もするが、100%じゃない限り僕は踏み出せない。
慎重で熟慮してからでないと行動できない性格だからだ。


結局、今日まで打ち明けていない。もしかしたら勘付いているかもしれないが、それは僕が幾ら考えたところで解ける問題ではない。







今回はこの辺りで。
読んでいただき、ありがとうございました。

はじき銀舎の形成 其の三〜思い出話が嫌い〜

こんにちは。はじき銀舎です。


今回は"はじき銀舎の形成"第三弾。
軽い気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。





人間不信の蕾と女性不信の蕾を携えた小学生は、中学生になる。



中学に入ると、僕は運動部に所属し、それなりに"充実"した日々を送っていた。

学校は皆勤だったし、授業が終われば部活に行く。土日も部活のために学校に赴く。そういう意味での"充実"。



そんな日々の中、いわゆるイケてるグループは恋愛に精を出し始める。恋の話をよく小耳に挟んだりしていたが、周りの男子のいう"この子が好きだ"とか"恋をする"という感覚がわからない僕。


この時は全く真剣に考えていなかったが、男子か女子かという選択肢があるなら、好きなのは男子だった。周りの男子たちが、女子のパンツが見えただ見えてないだではしゃぐ気持ちが分からず、馬鹿馬鹿しい、とさえ辟易としていた。


反面、一部の男子のことは気になっていた。気になる男子に共通していたのは、勉強ができる、小学生の時の可愛らしさを残したままといった感じの子。

これが"恋をする"という感覚だったのかもしれない。今になって振り返ってみると。


その男子たちは皆中学を卒業してから疎遠だから、今はどうしているのかわからない。




学校生活自体は晴れやかな日々を送っていたが、中学3年の時に突然暗雲が立ち込める。



僕は一部の同級生にいじめられることになる。

(詳らかに経緯や実情を書こうかと思ったのですが、身バレしたくないことと、あまりにくだらなさすぎて、文字にするに値しないので省略させていただきます。申し訳ありません…。)



どれくらいの期間悩まされたか憶えていない。消したい過去はすぐに脳内から消し去るようにしているからだと思う。


当時のこの一件は、ニュースや新聞などで知らされる現代のいじめほど深刻で卑劣なものではないが、慢性的にストレスは蓄積。それでも僕は一貫して"くだらないガキ"達の愚行を無視し続けた。


そんなある日のこと。この件は突如終焉を迎える。


たまたま近くにいた女性英語教師が"現場"を目撃し、その後僕が一人になったところで詰問。

その場で僕は「事を荒立てたくないから放っておいてください」みたいなことを話したはずだったのに、その後すぐに話は副担任の耳に。


副担任は体育教師で物凄く厳しい先生だった。



帰りのホームルーム。クラス全員の前で副担任がいじめのようなことが起きていることを伝え、やるなとひたすら説教。


もちろん、被害者が僕であることは言ってないが、クラスの大半はおそらく僕のことを言っているんだろうと気付いていたはずだ。

それでも僕は皆にバレないよう、その間平常心を装った。


だが、涙が込み上げる。事を大きくしないでほしかったものの、これでようやく楽になるかもしれない。
ホームルームが終わったと同時に、もうすぐにでも零れそうな涙を我慢して、すぐに教室を飛び出したことは今でも憶えている。


ちなみに、この一件の主犯格は別のクラスの人間だったが、すぐに学年全体にも副担任の説教は及び、それ以降何事もなかったかのように幕を閉じることになる。

何かあったことといえば、いじめに関わっていたメンバーとは接することが全く無くなった。
当然といえば当然だが。



そして卒業。長かったような、短かったような3年間を終え、高校生活がスタートする。



中学時代までの同級生で、アラサーになった今でも交流のある者は誰一人残っていない。高校に入ってすぐにほとんどの連絡先を消去した。

なので、同窓会の誘いも来ない。開催されているかどうか定かではないが、あっても絶対に行かない。


このいじめの件があったせいか、中学に限らないが、同級生との"昔こんなことがあったよね"みたいな思い出話が嫌いだ。
メリットが全く無いから。良い思い出ができれば、それに関してはきっと考えが変わるのだろうが。



ここからは余談だが、10年以上コンタクトをとっていない主犯格の名前をネットで検索してみた。
驚いたことに、教師になっているようだった。

あの時の出来事を反省して更正したんだろうか?いや、絶対してないし、そもそも忘れてるに違いない。加害者側は深く考えることがないんだから、憶えてすらいないだろう。

まあ、僕には今後一生関係のない人物だから勝手にやってればいい。僕はネットの画面と心の扉を閉じた。




次回は高校編。
長くなってしまいましたが、今回もありがとうございました。


さらに余談。
プロフィール写真を設定してみました。
ある日の綺麗な月と僕。
あくまでも月がメインです。

脱・後ろ向き! 脱・三日坊主!

このブログを始めて1週間。



4回目の更新ブログにて、ゲイであることをカミングアウトしました。


その後、"グループ"なるものを見つけ、ゲイのためのグループを発見。

新参者だし畏れ多いな、と一度躊躇いましたが、ここで踏みとどまると自分が変わらない気がしたので、参加することに。


グループに参加してからというもの、おかげさまで多くの方にブログを読んでいただいているみたいで、大変嬉しく思っています。

今後もお付き合いいただけたらこの上なく幸せです。




さて、今回はこのタイミングでブログを始めたこと、そしてゲイというセクシャリティを明かしたことにはいくつかの理由がある、と以前書きましたが、まとまったので綴っていきたいと思います。




1つ目の理由。
「このまま地味でつまらない日々を送り続けてお前は後悔しないのか?」と自分自身に問いかけたときに、否定の感情が芽生えたから。


今までは、一生孤独でひっそりと死んでいくんだろうなと思ってたし、どこかそれを望んでいる部分があった。

自我が確立してからの僕は、ルックスに自信は無いし、面白い話を咄嗟に繰り出すトークセンスも持ち合わせていない。周囲の人間との関係性を深めようとせず、上辺だけの付き合いのみ。

そのネガティブが内面にも影響したのか、他人の充実した恋愛話ほどつまらないものはないと思い続けた十数年。

結局はノンケの男女の色恋沙汰に嫉妬していたのかなと思う。


ただ、最近はこのままではいけない、動かなければ何も変わらないと焦りを感じてきた。現状からの脱却の1つのステップにブログを選択したのだ。



2つ目の理由。
心の閉塞感が我慢の限界に達したから。

ゲイであることは、両親や兄弟、友人や仕事の関係者など、誰にもカミングアウトしたことは無い。今後もとりあえず明かす予定は全く無い。

どこの繋がりでも性的指向は隠して何とかやっていくつもりだったが、客観的な立場に立って考えてみると、一つの事実に気付いた。



"僕が自由に振る舞うことができる場所が何処にもない…。"



一人暮らしの自宅に居れば自由。だけど、一歩外に出れば味方はいない。どうしても、全員が敵に見えてしまう。


匿名のブログではあるが、気兼ねなく何でも発信できる、友達の代わりのような味方となるツールが必要だと感じたのだ。



3つ目の理由。
三日坊主な性格を直したかったから。


何事も長続きしない僕。何か継続できそうな事項を模索していた。前述二つの理由と併せて丁度いい、と思った。





そんな理由でブログを始めるに至りました。



ブログなので雑談も交えていきたいのですが、次回は"はじき銀舎の形成"第三弾を更新予定です。



本日はこの辺で。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

はじき銀舎の形成 其の二〜女性不信の蕾〜

前回の続きです。



小学生時代からもう一つ。少々うろ覚えなのですが、御容赦ください。



放課後や土日には、いくつか上級生のお兄さん、お姉さん達との付き合いが結構多く、近所の公園でよく遊んでいました。小学生から見る中学生や高校生なので、当時はかなり大人に見えたものです。


その中に気の強いお姉さんがいました(以下、Qさんとする)。何となくの容姿しか覚えていませんが、いわば女番長のような風貌だったと記憶しています。Qさんとは仲が良いわけではなく、話したこともあったか曖昧なのですが、近所ということで顔馴染みではありました。


ある日、Qさんを含めたいつものメンバーで遊んでいた時のこと。
僕がQさんに泣かされるという事態に。
(何故泣くことになったのか、大事な箇所の記憶がありません…。殴られたか、ドッジボールでひどい仕打ちを受けたか、直に悪口を浴びせられたかのどれかだとは思いますが…。本当に申し訳ありません…。)

Qさんも故意でやったのか定かではありませんが、当時の僕は泣きじゃくりました。これを機に、Qさんとはもちろん関係が疎遠になりました。




今回敢えてこのエピソードを書くに至ったのは、この一件が女性に対して苦手意識をもつ大きな引き金となった気がするから。
女性との距離を縮めることが苦手になり、女性に恋愛の意味での好意を抱かなくなりました。
一つ目の蕾から程なくして、僕の心には次なる蕾、女性不信の蕾が芽生えたわけです。


ちなみに、現在も初対面の女性と接する時はかなり緊張しますし、得意ではありません。言葉で表現するに難いですが、気を張るというか、スイッチを入れないといけないというか…。
これが飲食店やレジなど、接客の女性にも発揮してしまうものだから、困ったものです….。僕と同じような方はいるんでしょうか?書きながらふと疑問に思いました。



次回は中学編です。お付き合いいただきありがとうございました。