はじき銀舎の地味日記

地味な生活を送る、冴えない男の日記

不器用な堅物

以前、僕は知り合いから"堅物だ"と言われたことがある。

 

 

嘘をつくことはどちらかといえば嫌いだし、いわゆる「優しい嘘」のような相手にとって良心的な嘘であっても、苦手あるいは下手であると思う。

 

対人関係においては、初対面の人にどのようにアプローチすればいいのかが分からない。

仕事で新しく関わる方には特に。

 

そしてお互いに隔たりを作ったまま、周囲には仕事に関する会話しか行わないという方が大半、という状況になってしまう。

 

 

そんな自分のことを好きになれないとか、そんな考えは決して無くて、僕の個性として自認してしまっている。

業務に支障を与えないのであれば、仕事関係の方と仲良くしなければならない理由も無いと思っている。

 

 

 

堅物とは関係のない話かもしれないが、僕は絵文字や顔文字を全く使わない。というより、使えないと言った方が正しいだろうか。

 

 

いつも僕のブログを読んでくださっている方であれば薄々気付いているかもしれないが、ブログには一切使っていないし、公にしているTwitterのつぶやきでも、私的なメールなどでも使っていない。

LINEに至っては、スタンプなるものも送った試しがないため、その機能を十分に楽しんでいないなとは思うのだが、僕としてはあまり必要性を感じていない。

 

絵文字や顔文字、スタンプなどを日常的に使用する人を否定する訳ではない。

送られてきて嫌な気持ちはしないし(嬉しいことの方が多いです)、文面にそういったクッションがあると、相手の気持ちがより分かりやすいなとは思う。

 

それなのに、僕はクッションを置かない(置けない)。

 

 

それらを使わない理由として、周囲の人間に対するある種の反骨心があったからだと考える。

 

 

初めて携帯を買ってもらった高校受験合格時、僕は他人を信じられない暗黒期真っ只中だったにもかかわらず、何故か既に携帯を持っていた同級生の多くと連絡先を交換していた。

 

あの頃は連絡先が多く登録されていることがカッコいいと思っていたのだろう。僕も同級生も。

 

そして、文明の利器を手にして間もない中学生は挙って絵文字や顔文字をむやみやたらに使いたがっていた。

僕はそんな同級生の姿を見て、反面教師かのように使うことを躊躇い続けた結果、今に至る。

 

もちろん当時の人間で現在も連絡先が残っているのは一人としていないが、あの頃の自分を引きずったまま、という訳だ。

 

 

柔軟になれば日々の生活や対人関係が楽になるかもしれない。いや、きっとなるだろう。

 

だけど、僕には誰とでも打ち解けられて距離を縮められる程器用さを持ち合わせていないし、それは性に合わない。

 

仕事上でもそれは変わらず、納得がいかないことが発生すると、思うがままに行動してしまう。

 

自分勝手でわがままだなと思う。

 

 

 

 

 

そんなどうしようもない堅物だが、先日自分で自分の首を絞める失態を犯した。

 

 

それはEさんと食事をしていた時のこと。

 

E「彼女はできましたか?」

 

彼女は言わずもがな、彼氏も居ないが、恋をしている。

こんな時に何もないと言えばいいものの、堅物は隠すことができず心の内を明かしてしまう。

 

僕「そんなこともあったりなかったり…。」

 

僕は濁してしまった。

これが失敗だった。

 

E「えっ、何か良いことがあったんですか?」

僕「ええ、まあ…。」

 

ここから僕は泥沼にはまっていく。

 

E「教えてくださいよ!」

 

断って嫌な空気にしたくない。

 

僕「実は好きな人ができまして…。」

E「えっ、いいじゃないですか〜!詳しく聞かせてくださいよ。」

僕「先日初めて会った方のことをずっと考えてしまって。」

E「その方とはどこで会ったんですか?」

僕「飲み屋です。」

 

この後も根掘り葉掘り尋問を受けることになったのだが、うまくかわしながら何とか乗り切った。

 

E「また聞かせてくださいね!」

 

駄目だ、これ以上深い話をしてしまうとボロが出てしまう。

 

次回お会いした時の対策を講じておかなければ、と少々焦っている堅物であった…。

 

 

 

 

 

〜最後に〜

 

6/18に発生した地震の後、心配をしてメッセージをくださった皆様に感謝申し上げます。

 

僕は仕事に少々影響が出ただけで、自宅も自分自身も何ともなく、元気にしております。

 

 

地震の瞬間、職場に向かう道中で突然近くのトラックが縦に揺れてびっくりしていたら、その直後揺れが押し寄せてきました。

 

スマートフォンから警報が鳴ったんでしょうが、その時イヤホンをしていたこともあり、全く気付きませんでした。

 

 

生まれ育った九州ではさほど大きな地震が発生しなかったこともあり、自分の防災意識が低いことを今回痛感しました。

常日頃から準備をして意識をもっておくことの重要性を認識しました。

 

改めて、御心配してくださった皆様、ありがとうございました。