はじき銀舎の地味日記

地味な生活を送る、冴えない男の日記

意気消沈

お久しぶりです、はじき銀舎です。

 

 

気付けば、1ヶ月ぶりの更新となってしまった…。

 

 

8月の振り返り。

あまりの暑さに休日の外出を控える程だったが、体調を崩すこともなく何とか乗り切った。

 

以上。

 

特筆すべき出来事が思い浮かばない…。

これといったイベントも無かったし、まあ仕方がないか…。

 

 

 

しかし、来月は仕事もプライベートも忙しく動き回る1ヶ月になりそう。

 

 

 

そんな矢先、台風21号が接近しているというニュース。

 

自然現象には抗えないとはいえ、楽しみにしている大切なイベントがキャンセルになってしまう恐れがあり、少し意気消沈してしまっている。

 

そう、僕は"雨男"。

周囲の人間が口を揃えて認める程、僕がイベントに顔を出すと決まって空が泣く。

それを繰り返すうちに、自分でも認めざるを得なくなってしまった。

 

だが、僕は決して雨が好きという訳ではない。

満面の笑みを湛えた空が好きだ。

 

 

間もなく迎える大切なイベント。

それが無事開催されるかどうかは天のみぞ知ることだが、今はただただ祈るしかない。

先入観を捨てた体験

前回の記事で触れた淡路島旅行前、彼との話の流れで、僕が乳製品が食べられない話になった。

 

hajiki-ginsha.hatenablog.com

 

hajiki-ginsha.hatenablog.com

 

 

そんな、乳製品を食べられないという事実が彼に一つの疑問を抱かせたようで、

「豆乳は飲める?」と質問された。

 

 

答えは"飲めない"のだが、疑問はさらに深まったようで、何故飲めないのかという流れに。

 

 

 

どうして豆乳が苦手なのか…。

確かに、乳製品が含有されている訳ではないから、苦手でなくてもおかしくはない。

 

 

だが、よくよく振り返ってみると、おそらく豆乳を口にしたことが無い。

そもそも僕は、豆乳には牛乳が入っているものだと思っていたから、そんな先入観もあって嫌悪感を示していたのだ。

 

 

豆乳だけが、唯一「乳」とつく乳製品以外の食べ物であると思われる。

そのため、豆乳だけは飲めるのではないかという意見が彼から寄せられた訳だ。

 

 

 

 

そして淡路島旅行中、豆乳を飲んでみようと促された。

これが友達や家族に言われていたとしたら、拒んでいたに違いないが、彼に言われるなら話は別だ。

 

 

彼に背中を押され、コンビニに売っていた、きな粉味の豆乳を買い一口飲んでみた。

 

 

評価は△だった。飲めなくはないが、後味に苦手な乳感が残り、一本は飲めないと判断した。

僕にとって、豆乳は紛れもなく"乳"であったのだ。

 

 

もしもこれが"ビーンズジュース"というネーミングであれば平然と飲んでいたかもしれない。

だが、これは"豆乳"。

"乳"の文字が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

結局僕は二口だけ飲み、残りは彼に飲んでもらった。

 

 

 

 

 

 

今回の豆乳の件のように、無意識の先入観で避けてきたものを経験してみることは大切だと感じた。

自分だけでは決して実行に移せないような事でも、今そして今後は彼と共有することで挑戦することができる気がする。

 

 

ちなみに、彼とは事情により来月いっぱいまで会うことはできないため、現在はLINE上でのみやりとりしている。

前回会ったのは淡路島旅行、実に2ヶ月は顔を合わせることができないが、その分楽しみは膨らむ一方だ。

 

悦びの御報告

どうも、はじき銀舎です。

 

 

挨拶で始めるの久々かもしれない…。

 

 

約2週間ぶりの更新になってしまいました。

 

 

 

 

はじめに、いつもお世話になっている読者の皆様に御報告があります。

 

 

 

僕、はじき銀舎に初めて彼氏ができました。

人生初です。

 

 

 

生まれてこのかたずっと雪国に居た僕に春が到来した、というのでしょうか。

 

 

相手は、先月の記事で登場している、"彼"です。

 

 

hajiki-ginsha.hatenablog.com

 

 

 

彼は僕の6歳下。とはいえ、僕なんかよりもしっかりした、とても魅力的な方。

 

 

一緒に居て、とても落ち着くんですよね。もちろんドキドキもするけど、自分を飾ることなく接することができる存在。

 

 

あとは何と言っても可愛い…。

 

 

 

浮き立ってますね、すみません。

 

 

 

 

そんな彼と、先日1泊2日で神戸・淡路島にドライブへ行ってきた。

 

 

 

大雨に打たれる時間が多かったものの、晴れ間が射し込むこともあり、結果的には2日とも露天風呂を堪能できたり美味しい食事に舌鼓を打ったりと、満足感に溢れた濃厚な時間を過ごすことができた。

 

 

 

写真は淡路島の海岸沿いを走っている時の1枚。

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僕はずっと助手席で終始彼が運転してくれたが、運転好きな彼の楽しそうな表情を隣で見ているだけでも幸せだった。

 

 

 

助手席での僕はというと、正直何もしていない。

ナビをできるほどの技量も無いし、景色の写真を上手く撮影できる訳でもない。

 

 

何でも彼に任せすぎてしまったかもしれない。

 

 

年上として、彼に寄り添える大人の男になれるよう、これから僕なりに頑張っていきます。

 

 

短めですが、本日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

不器用な堅物

以前、僕は知り合いから"堅物だ"と言われたことがある。

 

 

嘘をつくことはどちらかといえば嫌いだし、いわゆる「優しい嘘」のような相手にとって良心的な嘘であっても、苦手あるいは下手であると思う。

 

対人関係においては、初対面の人にどのようにアプローチすればいいのかが分からない。

仕事で新しく関わる方には特に。

 

そしてお互いに隔たりを作ったまま、周囲には仕事に関する会話しか行わないという方が大半、という状況になってしまう。

 

 

そんな自分のことを好きになれないとか、そんな考えは決して無くて、僕の個性として自認してしまっている。

業務に支障を与えないのであれば、仕事関係の方と仲良くしなければならない理由も無いと思っている。

 

 

 

堅物とは関係のない話かもしれないが、僕は絵文字や顔文字を全く使わない。というより、使えないと言った方が正しいだろうか。

 

 

いつも僕のブログを読んでくださっている方であれば薄々気付いているかもしれないが、ブログには一切使っていないし、公にしているTwitterのつぶやきでも、私的なメールなどでも使っていない。

LINEに至っては、スタンプなるものも送った試しがないため、その機能を十分に楽しんでいないなとは思うのだが、僕としてはあまり必要性を感じていない。

 

絵文字や顔文字、スタンプなどを日常的に使用する人を否定する訳ではない。

送られてきて嫌な気持ちはしないし(嬉しいことの方が多いです)、文面にそういったクッションがあると、相手の気持ちがより分かりやすいなとは思う。

 

それなのに、僕はクッションを置かない(置けない)。

 

 

それらを使わない理由として、周囲の人間に対するある種の反骨心があったからだと考える。

 

 

初めて携帯を買ってもらった高校受験合格時、僕は他人を信じられない暗黒期真っ只中だったにもかかわらず、何故か既に携帯を持っていた同級生の多くと連絡先を交換していた。

 

あの頃は連絡先が多く登録されていることがカッコいいと思っていたのだろう。僕も同級生も。

 

そして、文明の利器を手にして間もない中学生は挙って絵文字や顔文字をむやみやたらに使いたがっていた。

僕はそんな同級生の姿を見て、反面教師かのように使うことを躊躇い続けた結果、今に至る。

 

もちろん当時の人間で現在も連絡先が残っているのは一人としていないが、あの頃の自分を引きずったまま、という訳だ。

 

 

柔軟になれば日々の生活や対人関係が楽になるかもしれない。いや、きっとなるだろう。

 

だけど、僕には誰とでも打ち解けられて距離を縮められる程器用さを持ち合わせていないし、それは性に合わない。

 

仕事上でもそれは変わらず、納得がいかないことが発生すると、思うがままに行動してしまう。

 

自分勝手でわがままだなと思う。

 

 

 

 

 

そんなどうしようもない堅物だが、先日自分で自分の首を絞める失態を犯した。

 

 

それはEさんと食事をしていた時のこと。

 

E「彼女はできましたか?」

 

彼女は言わずもがな、彼氏も居ないが、恋をしている。

こんな時に何もないと言えばいいものの、堅物は隠すことができず心の内を明かしてしまう。

 

僕「そんなこともあったりなかったり…。」

 

僕は濁してしまった。

これが失敗だった。

 

E「えっ、何か良いことがあったんですか?」

僕「ええ、まあ…。」

 

ここから僕は泥沼にはまっていく。

 

E「教えてくださいよ!」

 

断って嫌な空気にしたくない。

 

僕「実は好きな人ができまして…。」

E「えっ、いいじゃないですか〜!詳しく聞かせてくださいよ。」

僕「先日初めて会った方のことをずっと考えてしまって。」

E「その方とはどこで会ったんですか?」

僕「飲み屋です。」

 

この後も根掘り葉掘り尋問を受けることになったのだが、うまくかわしながら何とか乗り切った。

 

E「また聞かせてくださいね!」

 

駄目だ、これ以上深い話をしてしまうとボロが出てしまう。

 

次回お会いした時の対策を講じておかなければ、と少々焦っている堅物であった…。

 

 

 

 

 

〜最後に〜

 

6/18に発生した地震の後、心配をしてメッセージをくださった皆様に感謝申し上げます。

 

僕は仕事に少々影響が出ただけで、自宅も自分自身も何ともなく、元気にしております。

 

 

地震の瞬間、職場に向かう道中で突然近くのトラックが縦に揺れてびっくりしていたら、その直後揺れが押し寄せてきました。

 

スマートフォンから警報が鳴ったんでしょうが、その時イヤホンをしていたこともあり、全く気付きませんでした。

 

 

生まれ育った九州ではさほど大きな地震が発生しなかったこともあり、自分の防災意識が低いことを今回痛感しました。

常日頃から準備をして意識をもっておくことの重要性を認識しました。

 

改めて、御心配してくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

 

 

言葉で表せないこの感情は

先週の土曜日。

 

 

この日休みだった僕は、京都の街に居た。

そうだ 京都、行こう。」のキャッチコピーの如く、軽いノリで訪れていたのだ。

 

 

 

前日の悪天候から一転、風が気持ちいい散歩日和となったこの日、僕は音楽を聴きながら街を散策したり、時間を忘れて川沿いを散歩したりと、優雅なひとときを過ごした。

 

 

そんなこんなしているとあっという間に日は沈み、それに反するかのように僕の気分は昂揚していった。

そこで、京都を訪れたのと同様の軽いノリで、3ヶ月前に初めて訪れたゲイバーに行った。

 

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入店すると、お店の方3名とお客さん1名がいらっしゃった。

僕は店員さんに促されるままに、カウンター中央の席に腰掛けた。

 

 

 

お酒を呑み談笑をしているうちに次第に席は埋まり、いつの間にかスタンディングでお酒を呑むお客さんが出る程、店内は賑わいをみせ始めていた。

 

 

2時間弱楽しく過ごした僕は、右隣に座っていた二人のお客さんとお店を後にした(こちらのお二人はともに初対面)。

 

というのも、この日お店の近くでイベントが開催されることをお店の方に事前に説明されており、是非参加してみてはどうかと勧められていたのだ。

僕は正直あまり気が乗らなかったが、仲良くお話させていただいたお二人が行くと言ったので、折角の機会なのだからとご一緒させていただくことにした。

 

 

外に出て少しだけ歩き、目的地に着いた時の僕はほろ酔い状態だったが、そこで目の当たりにした光景は鮮明に憶えている。

 

27年間決して触れることの無かった、華やかな空間。

どこにでもあるような一見普通のビルのワンフロアが、これ程までに煌びやかだとは想像できなかった。

だが、これは現実なんだ。

 

 

会場を去ってから思ったことなのだが、あんなに多くのゲイが一堂に会するのもこういったイベントくらいだろうなと思うと、何だか稀有な経験だったなと感じる。

 

今後どのくらいイベントに顔を出すのかにもよるのだが、お酒が入っていない状態では僕は決して楽しめないかな、と思ってしまった。

※あくまで個人的感想。

 

 

都合により途中で一人が帰ってしまったため、その後はもう一人の方と二人でイベントを楽しんだ(以下、その方を"彼"とする)。

 

 

 

 

日付が変わる頃だっただろうか。

僕らは会場を後にし、僕は彼の家に泊めてもらうことになった。

 

 

どういったやりとりを経てこの展開になったのか、実ははっきりと憶えていない。

ただ、イベントの途中で終電の時間が迫っていた時、まだ帰りたくないという気持ちが僕の足を止めて動かさなかった。そして、翌日は仕事だったが朝一で帰ればいいや、という軽い気持ちで会場に踏みとどまったことは記憶している。

 

とはいえ、終電を逃した際のいつものパターンで、カラオケで仮眠をとるつもりだったから、決して彼の家にお邪魔して迷惑をかけたくはなかったのだ。

 

そのあたりの事の顚末は頭に残っていないため、彼が「来ても良いよ」と言ってくれたかどうかなどは全く憶えていない。

(我ながら、近頃のお酒の席で毎度のように記憶を飛ばしている気がする。もう少し節度をもち自分に厳しくしなければ。)

 

 

だが、蓋を開けてみると、彼の家に泊めてもらうことになっていた。

 

 

 

今考えると、凄く自分勝手だったなと反省している。

 

 

ちなみに、彼は年下。

年下の子が年上の家にお世話になるのではなく、逆なのだから、尚更"何やってるんだ。"と自分自身を叱責したい。

 

とはいえ、その時の僕は酔っていたこともあり、ついついはしゃいでしまった。

さすがにそろそろ大人の振る舞いを身につけていかねば、とさらに反省してしまった。

 

 

結局、翌朝の電車の時間までお世話になってしまった。

 

 

 

翌朝、仕事の為朝一で戻らなければいけなかった僕は重い腰を上げて彼の家を後にし、大急ぎで帰宅、二日酔いと睡眠不足のダブルパンチで憂鬱な日曜の仕事を熟すのであった…。

 

 

だが、そんなうだつの上がらない環境下でも、僕の心は幸せな気持ちで溢れていた。

 

 

今は諸般の事情ではっきりと書けないのだが、ここには挙げ尽くせないくらいのさまざまな初体験を経験した一日となった。

これはいずれ公開できるようになったら明かすかもしれない(申し訳ありません…。)。

 

 

 

 

今後の人生、僕にはまだまだ沢山の未体験が待ち構えているであろう。

 

純粋な気持ちで愉しむことができるよう、今のうちから心の準備を進めておきたい。

 

 

 

 

 

〜6/13追記〜

あの一夜から4日経過した。

 

毎日あの夜のこと、そして彼のことを思い出しては考えてしまう日々が続いている。

 

 

こんなことは、これまで無かった。

K君にもこういった事象は起きなかったし、Eさんに対しても同様のことは決して無かった。

そして、Wさんでさえも。

 

 

 

今の僕は、彼に気に入られたいという想いで頭がいっぱいだ。

 

このソワソワした気持ちというか漫ろ心のようなものは何なのだろうか、と一日考えていた。

 

 

そして、僕が下した結論。

きっとこれが"恋愛感情"なのではないだろうか。

 

 

とりあえず、この先一定期間、この漫ろ心や感情が拭えそうにない。

 

 

 

 

 

サプライズ大成功。

サプライズ。

 

ターゲットに内緒で、喜んでもらえるような、また想い出に残るような企画を考え、それを知らせぬまま実行に移し驚きと喜びを味わってもらう。思い通りに事が運べば、する側もされる側も笑顔になる楽しいイベント。

 

 

 

そんなサプライズを僕は先日初めて体験した。

そう、仕掛ける側ではなくターゲットとして。

 

 

 

 

それは仕事中のこと。

いつも通り業務に没頭していると、近くから「おぉ!」と声がした。

声のする方向に目線を向けると、そこにはK君の姿があった。居るはずのないK君が。

 

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「えっ⁉︎ ちょっと待って…。えっ⁉︎」

驚きのあまり、脳の思考回路が追いつかない。

「えっ、何でいるの?」

今振り返っても、我ながら滑稽なトーンで質問していたことだろう。

これが、ドラマにありがちな再会シーンの撮影本番だったら一発OKだったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

K君は現在九州に住んでいる。そして僕は関西。

K君はある用事のために、九州から僕の住む地域に来ていたらしい。その用事を終えて、K君は僕の職場を調べて"わざわざ"寄ってくれたのだ。

 

"わざわざ"と敢えて付けたのは、時間を割いてくれたこと、電車賃を払ってまで顔を出してくれたこと、そして労力を費やしてくれたこと。

全て、僕なんかのためにやってくれたのだ。

 

 

これまでの人生で、僕はこういった"わざわざ"を経験することはほとんど無かった。いや、もしかするとあったのかもしれないが、今記憶に残っていないのだから無かったのだろう。

まあ、周囲の人間と関係性を深めることが怖くなっていたし、他人のために尽くした記憶が無いのだから当然なのだが。

 

 

だから、K君のこの優しさは僕にとってこの上ない喜びだし、本当に感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

 

再会のシーンに戻る。

 

K君は相変わらずだった。

時間(とき)の経過を感じさせない童顔を僕に向け、微笑んでいた。

 

僕は徐々に驚きが嬉しさに変わっていくのを感じながら、色々質問をした。

 

 

 

何せ、LINEで連絡のやりとりをしているが、ここ半年は途絶えていた。

 

最後に連絡したのは僕発信で、近況はどうなのか、元気にしているかといった内容のメッセージを送ったが、返事は返ってきたものの忙しかったようで、短いラリーで会話は終了した。

 

それからというもの、僕から連絡をするのは迷惑になるかなと思い我慢していた。

そして、K君の現状がどうなっているのかずっと心配していた。

 

 

話を聞くと、この半年間K君は元気にやっていたようで、とても有意義に過ごしていたようだ。

聞きたかったが聞けていなかったK君の今後の展望を聞き、僕の展望も少しだけ吐き出すことができた。

 

 

この日すぐに九州に戻らなければならないにもかかわらず、立ち寄ってくれたK君。

ほんの僅かな時間だったけど、僕は幸せで充実した時間を過ごすことができた。

 

 

 

K君に負けないくらい僕も努力して頑張らねば。

友の雄姿は僕の奮起剤だ。

 

 

 

 

 

この記事を読んでくださる方の中には、大した事ないサプライズかと思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 

だが、僕にとっては初めてで最高のサプライズ。

 

 

 

最後に。

このブログを見ているわけが無いが、K君へメッセージ。

 

「サプライズ大成功だよ!」

 

 

音楽の聴き方には性格が出る?

音楽を聴くことが生きがいとなっている僕の、音楽の聴き方の話。

 

 

僕は基本的に好きなアーティスト、好きな曲しかプレイリストに入れていないが、その瞬間(とき)の気分によって曲送り(曲飛ばし)を頻繁に行う。

また、一曲が終わる度に次に聴きたい曲を選ぶことも多く、4〜5分おきにiPodや携帯を操作してしまうことは決して珍しくない。

 

 

通勤中を例に挙げる。

 

歩きながらの移動中はどうしてもバラードは飛ばしがちになる。自分の中のテンションを上げるために、BPMが速めの曲やその時にハマっている曲を選びがちだ。

 

却って、電車の中だとバラードを積極的に聴くことがある。音数よりもボーカルが紡ぎ出す言葉の羅列を噛み締めることにより集中できるからだ。

 

通勤時間は大体決まっているため、行き帰りでセットリストが同じ、ということも珍しくない。

 

 

 

そして、最後の曲(職場に着く直前の曲)は特にこだわって選ぶ。

なぜなら、その曲が終わると、流れてくるメロディも耳に触れている相棒も長時間離れてしまうから。

いわば、別れの前の、自分自身に向けて贈るファンファーレ。

 

大袈裟かもしれないが、僕は日々そう感じながら選曲している。

 

 

つまり、僕にとっての選曲というのは、欠かすことのできない、"作業"を超えた"義務"なのだ。

 

 

 

 

ここで、10年くらい前に出会った衝撃的な出来事を紹介する。

 

同級生と話をしていると、

相手「好きな曲があって…。」

とふと音楽の話になった。

 

僕「何ていう曲なの?」

相手「わからない。」

僕「えっ、好きなんだよね?」

相手「音楽プレーヤーに入ってる全曲をシャッフルで聴いてるから、タイトルは知らない。」

僕「じゃあその曲を聴きたくなったらどうするの?」

相手「流れてくるのを待つしかないね。」

 

その子は明るい口調で笑ってそう言った。

 

 

「いやいや…。信じられないんだけど…。」

心の中でそう呟いた。

その子のことを否定する訳ではなく、僕からしてみたら聴きたい時に聴けない曲があるなんてストレスだ、という意味だ。

 

 

 

 

だけど、そんな発言を受けた僕はあるシーンを思い返していた。

 

 

それは、そこから少し遡った頃のこと。

僕が高校生の頃の、大学生の兄とのほんの些細なやり取りだ。

 

 

何気なく兄のパソコンを見ると(隠れてではないですよ、同意を得ています)、iTunesに入っていた多くの曲の再生回数がほぼ同じだった。

 

気になった僕は兄に聞いてみた。

僕「好きな曲をヘビロテしたりしないの?」

兄「あんまりしないね。全曲シャッフル。」

僕「えっ、じゃあその時に聴きたいなと思う曲があったらどうするの?」

兄「うーん、そう思うことがほとんどないかな。」

 

全曲シャッフルだと、特定の曲に出会う確率は数百分の一(細かく言えば違いますが)。もはや、千載一遇かと言わんばかりだ。

 

 

 

 

同級生と兄はその都度流れる音楽を機器に任せている点で共通している。

一方僕は機器の意図に逆らうように、その瞬間(とき)の感情で好きなように選んでいる。

 

 

 

これは、人生という大きな単位でみてもそうだった。

 

 

僕はどちらかというと甘やかされて育った方だと思う。叱咤された記憶はあまり多くない。

決して裕福な家庭ではなかったが、不自由なく生活させてくれた両親には感謝している。

 

 

末っ子ということで、時には兄より良い待遇を受けたこともあった。

兄は両親と同じ2児の親となった今、そんな当時の僕をどう思っていたのだろう?

また、今の僕のことをどう思っているのだろう?

 

 

 

「多くの選択肢から気分によって選り好みする」という性格(あくまで音楽の場合ですよ)はあまり聞こえが良くない気がするが、「好きになればまっしぐら」というニュアンスで捉えると特長となり得る。

まあ、どんな表現も表裏一体なのだから、プラスの方向で捉えることにする。

 

 

 

性格はそう簡単には変えられない。

プラスの面をさらに引き出して発揮できるよう努めていきたい。